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goaisatu
【2016年01月13日】デヴィッド・ボウイとのインタビュー

デヴィッド・ボウイとのインタビュー
先日イギリスを代表するマルチ・ミュージシャンであり、俳優でもあるデヴィッド・ボウイが69歳で癌で亡くなられたというニュースが伝えられ、世界的に大きな反響になっていますね。私がインタビューを行なった1983年当時、彼は、「レッツ・ダンス」という曲の大ヒットで世界中の話題を一身に集めていました。このとき、デヴィッド・ボウイ36歳。日本の大島渚監督の映画『戦場のメリークリスマス』の成功は、彼の神秘的な魅力と独特の存在感なくしてはありえなかったし、詞を書き、曲をつくり、歌うだけでなく、俳優としても世界的に高い評価を勝ちえたことで、まさに1983年の顔となっていたんですね。
 
その時にすごく透明感のある方だなという印象を持ったのですが、お話を聞くと15歳の時に禅を学び、その後タイに行って僧院に入り、頭もまるめたこともあったそうです。彼は天からの直観というかインスピレーションを受けてやっていらっしゃるんだろうと思いましたが、お話を聞いて納得できました。
ボストンのパーカーハウスでインタビューの後、彼と一緒にヘリコプターに乗り、10万人のファンが待っている野外会場に到着し、舞台裏からワンマンショーを拝見したことが思い出されます。あれだけ壮大なステージでのコンサートを身近に拝見したのは初めてだったので非常に感銘を受けました。
そんな彼がインタビューで日本人に取っても興味深いことをおっしゃっていたので、その内容を披露します。これは、当時テレビなどのメディアによる取材をかたくなに拒否しつづけていた彼が、はじめて日本からのインタビューに答えてくれた貴重な記録です。

 ――あなたは、よく姿を変えてメディアに登場しますが……ひとつの顔が受け入れられる前に、また別の顔を見せるのは……もしかすると自分で飽きてしまうからですか? それともイメージがピンとこないとか……? どうしてなんでしょう?

ボウイ: 理由はいくつかあります。最初のころは、変なアウトサイダーだと思われていました。イギリスでは、多少、エキセントリックな人に対してはホッとするところもあるみたいなのですが……アメリカ人は違って、はっきり定義づけしてからでないと受け入れてくれないんです。
 だから最初の10年間は、もっぱらキャラクターづくりに専念していました。出すアルバムごとに、それにあわせて新しいキャラクターをつくっていったのです。キャラクターづくりをしなくなって、自分を自分として売りだすようになってから、ぼくの音楽が、ずっと親しみやすくなったのです。その一方で、ニューミュージック(新しい音楽)が、ポピュラーになり、ぼくの曲も多くの国のバンドが手がけてくれるようになりました。日本でも、イギリスでも、ドイツでも……。

 ――ところで、昔、禅の修行をなさったことがあると聞きました。そのとき、あなたはわずか15歳だったそうですが……にもかかわらず、頭をそったのはすでに2回目だったとか? 本当ですか?

ボウイ: ええ……まあ、もっと歳はいっていたけれど、本当です。ぼくは禅にとても深く惹かれました。なぜなら、ものごとのはかなさや諸行無常ということに、強く感じるものがあったからです。それに、ぼくの書く曲にも通じるところがありました。
 それから……ああ、そうだ……永遠のものなんて、何もないんです。万物流転……それがぴったりだと感じられたんです。年齢を重ねるにつれて、禅はぼくにとって宗教ではなく、精神生活の指針となったのです。ぼくはそれが、自分の考え方にもっとも近い哲学だと思うのです。活力の根源にもなっています。

 ――それにしても、イギリス人のあなたが、禅に興味をもつなんて……? いったいどんな子どもだったんですか?

ボウイ: ……ませた子どもでしたね(笑)。ませて、島国根性をもっていて……。近所中で、いつでも新しいものに真っ先に目をつけて、いつも2、3歳年上の子どもの本を読んでいました。中味なんてわかっていなかったけれど、いちばん先に新しいことを発見するのが好きだったんです。まあ、気まぐれに、知性主義に憧れていたんですよ。でも、それ以後は少しばかり落ち着いて、物静かな人間になったと思います。

 ――それにしても、なぜ禅だったんでしょう?

ボウイ: 西洋人にとって、もっとも遠ざかった文化というと、中国や日本を思い浮かべるんです。ぼくはさいはての国には、いつも魅力を感じていました。というのも、10代のころ、パントマイムの先生が、ぼくに歌舞伎や能の概念を教えてくれたんです。その後、日本で実際に見て、その衣装や演出、音楽にとても興味をもちました。それで、日本の芸術すべてに深い愛着をもつようになったわけです。
 たとえば、「ジギースターダスト」というキャラクターを、ぼくは「ロックの神様」としてつくったのですが、そこでは日本の神の要素を取り入れました。
 また、衣装の多く……かかとの高いブーツなど……は、すべて歌舞伎から取り入れたんです。ジギーの神は、獅子の赤毛なんです。前は、黒子なんかも使ってみました。ぼくの衣装を、ぜんぶ脱がせるんです。

 ――女装をなさるときは、どんな気分なんですか?

ボウイ: 女装? そんなことをした覚えはないんですが……? ああ、プロモーション用のためになら、やりましたね……(笑)。
 ――そのとき、そのような衣装をまとって、女性になったような気がしましたか?

ボウイ: いや、いい俳優だな、という気がしましたよ(笑)。

 ――両方の性を備えるということに対して、あなたの考え方は変わりましたか?

ボウイ: それについては、ぼくはそもそも、意見なんかもっていません。ただ、若いころにそうだった、というだけです。

――今も、ぜんぜん意見をもっていないんですか?

ボウイ: ええ、たとえそれをコメントしたとしても、ゴシップ記事のタネになるくらいですから……今はどうしても、真面目にものをいえないんです。なにしろ新聞ときたら、それを使って売りまくり、発行部数を増やすんですからね。

 ――たしか、あなたのレコード「レッツ・ダンス」のなかでは、原住民を差別する白人の問題を取り上げていましたね。

ボウイ: ええ。

 ――これから先も、また社会問題をとりあげる予定はありますか?

ボウイ: ええ、ありますよ……そこで策略をめぐらせているのだけれど……ひとりのロック歌手が、何の基盤もないのに、どんな社会問題を取り上げようとしたところで、それは難しいことですからね。
 それにぼくの場合、ただの芸術愛好家に見られないように、とても用心しています。あまりにもいろいろなことをするものだから、人々はぼくが本当に絵を描いたり、音楽をつくったりしているとは思えず、単なる移り気で、真剣ではないと思うらしい。
 そこでぼくにできることといったら、ある種のチャリティ活動なんです。このことは、ぼくにとってとても意味のあることです。ぼくの育ったロンドンのブリッグストンは、もともと黒人系ジャマイカ人の多く住む地域で、最近、ぼくはここの団体に自分のコンサートの収益などでさまざまなことをすることができたんです。小規模ではありますが、これが第一歩なのです。

 ――たしか、あなたはその創作活動を、絵画を学ぶことからはじめたのでしたね?

ボウイ: ええ、そうです。でも、あまり上手ではなかったし、それで食べていけるほどでもなかった。要するに、経済的な基盤がつくれなかったんです。画家としてはぜんぜんお金もうけができなくて……一文無しでした。でも、ぼくはそのころ、テナーサックスも吹いていたので、それでバンドに入ったんだけど……そうすれば、少しはお金が入るということがわかったんです。
 結局、自分をもっとも満足させることは、自分自身で題材を描くことなんだとわかりました。おかげでぼくは創造的になれたし、食べていけるようにもなった。これは理想的な世界で、幸運でした。
 今、ぼくのなかでいちばん大切なのは……アーティストとして自分を表現し、受け入れられるという大きな自由を、今までにもったことがなかったので……つまり、これまでも今ほどは受け入れられていなかったんです。
 でも、今年はぼくにとって、記念すべき年です。ぼくがやっていることに対して、これほど多くの人が本物の関心を寄せてくれたことはありませんでした。
 ここ2、3年の間に、ぼくのやってきたことに興味をもったバンドが、とても多くなってきたのです。ぼく自身もとても親しまれるようになりました。

 ――となると、今、もっとも失いたくないものは?

ボウイ: そう……ぼくがつかんだばかりの、この自由です(笑)。ぼくは、大衆のイメージに媚を売るアーティストと一緒にされたくありません。彼らはそのイメージにとらわれ、そこから抜けだそうといろいろとほかのことをしてみるけれど、かえって人々から聴いてもらえなくなってしまうのです。
 ぼくに関しては幸いにも、あれこれと変わることが期待されているわけですから、自分のために闘ってこれたのです。ある種の音楽や演技、映画にとらわれるべきだと考える必要はないのです。

 ――何か、不安に感じていることはありますか?

ボウイ: コンサートのスタジオで、客がひとりもいない瞬間です……(笑)。

 ――コンサートを通して人々に調和を与え、歌を通して人々に希望を与えられるなんて、素敵なことだと思いますが……?

ボウイ: いえいえ、改めて考えなおしてみると、ぼくはぼく自身に対しても、ほかのロックシンガーに対しても、慎重に、いつも人々を教育しようとしてきましたが……それは間違ったことでした。それよりも、自分の家族や、身近な人々へ伝えていったほうがいいんです。それに、そのほうが、その波紋がとても広がりますからね。
 もしもぼくが演壇に立って何かを論じたとしても、一般のメディアはとても程度が低いですから。伝えたいものが、ニュースとかテレビの俗ネタのひとつして取り上げられ、フットボールの試合の結果と同じように扱われるのがオチなんです。

 ――日本についてはどうですか? 何回も行った経験がおありだとか?

ボウイ: ええ、そういう話はいいですねえ(笑)。過去12年間で、何回も訪れていますよ。ぼくは、コンサート・ツアーが終わったあとで、1、2か月、日本でゆっくりとすごすのが好きなんです。もっとも長く滞在したときには、そう、3か月もいました。ツアーのあとで……ええと、場所は京都です。汽車で行き来したんです。特急ではなく、ふつうの人たちが乗る小さい汽車で……。
 ――日本的な庭や、古い歴史のある寺も好きだそうですね。
ボウイ: ええ、そうです。でも、近代的な日本人も、同じように好きですよ。何人かの新しい画家や写真家……そしてファッションデザイナーにも、かなり興味深い人たちがいますから。カンサイ……そう、山本寛斉……彼は好きだな。それから写真家の鋤田(鋤田正義。広告、テレビコマーシャル、映像作品などで幅広く活躍。音楽関係の作品も多く、レコード・ジャケットの写真も多く手がけている)……彼らにとても惹かれます。それから、もちろんリューイチ! 坂本龍一です。『戦場のメリークリスマス』のね。彼の音楽は、新しいものだと思います。とても独創的で……。

 ――彼の演技は初めて観ましたが、とてもよかったですね。

ボウイ: ええ、そう思います。

 ――21世紀への、あなたのシナリオとは、どのようなものでしょう?

ボウイ: オー、ノー! ……進歩のスピードがとても速い現在では、科学的なものごとが急速なペースで動いています。人々は、世界がどのような方向へ向いているのか、とても想像することさえできません。つまり21世紀には、われわれを孤独にさせる要素が、たぶんにあるように思います。
 たとえばこれから10年以内に、想像を絶するような発見が次々となされると思います。でも、教育、医学、科学、宇宙、産業、技術、そのすべてがあまりにも進歩的すぎるのは問題だと思うのです。高度で複雑になった機械類を、人間の能力の限界付近で動かすことは、とても恐ろしいことです。

 ――過去を振りかえってみて、悲しかった出来事というと?

ボウイ: 私の息子が、まだほんの小さかったころに、一緒に時間を十分にすごせなかったことです。いつもコンサート・ツアーに出ていて、その間の年月を見逃してしまいました。これはもう、常に後悔するでしょう。息子の最初の3、4年の月日を……。

 ――息子さんは、あなたと似ていませんか? あなたの小さいころと比べてどうでしょう?

ボウイ: (笑)どうだと思いますか? ええ、私に似て放浪者なんです。ボヘミアンかな……(笑)。

インタビュー終了

デヴィッド・ボウイのご冥福をお祈りします